当社の沿革
当社は、今から遠く300余年前、現在の三重県津市において、当時の「藤堂藩御用屋茂兵衛商店」に起源を発して現在に至っております。その後、安政元年(1854年)に商号を「太田商店」と改め、砂糖・小麦粉・綿糸・石油・海運等の取り扱い商店として創業いたしました。さらに大正3年、組織を合名会社として法人組織による商店を設立。また大正8年には、資本金100万円をもって株式会社に改組し、家業である砂糖その他の商品を取り扱ってまいりました。その間、砂糖業界の名古屋市場開設にあたっては、当時の二大製糖メーカーの一社である「大日本製糖株式会社」の要請の下に、名古屋支店を設置いたしました。これが現在の「太田商事株式会社」の前身であります。
しかしながら、昭和18年よりの太平洋戦争の拡大化による当時の日本経済の逼迫化に伴い、政府による経済統制の強化が各種企業の整備・統合という形で推進され始めますと、砂糖業界も他業種と同様の企業整備が行われ、同年業界他社と共に廃業いたしました。その後は、戦中及び戦後を通じて国家の統制経済下における砂糖類の統制会社の一員として協力いたしてまいりました。その後、昭和27年にいたって砂糖類の統制が廃止されると、いち早く新たに「株式会社太田商店」を設立、柳(ヤマリュウ)の屋号と共に砂糖業界に復活いたしました。
おかげさまで、当社は過去百数十年にもわたる歴史と信用に支えられ、新規開業後は売り上げも年々飛躍的に増大し、砂糖業界において名古屋市場元売商の大手としての地位を数年と待たずして確立いたしました。同時に小麦粉及び小麦粉二次製品並びに食品添加物の販売業務にも手を拡げ、さらには食品業界の変遷、すなわち戦後の味覚・調理その他の理由から生じた食品嗜好の変化は、当社をして新たな市場へと進出することを決断させました。特に即席食品類の市場動向に着目した当社は、昭和32年に名古屋に設立されました「寿がきや食品株式会社」と積極的に提携して、同社の製造する粉末スープ類の発売元として、さらにはスープ類を添付した麺類製品の製造及び販売を目的とした傍系会社を設立いたしました。
さらに、砂糖の家庭用需要の高まりとともに、昭和53年には砂糖小袋詰加工会社である「中部精糖株式会社」を設立し、精糖メーカーからの委託加工を請け負うとともに、自社ブランドである「チュートウ印」の砂糖の販売を開始いたしました。また、平成元年に本社を現在の名古屋市熱田区古新町に移すことに伴って、旧本社所在地にて宿泊業を開業し不動産事業に進出するなど、経営の多角化による企業安定のため努力をいたしております。
安政 元年 | 三重県津市において「太田商店」創業。 |
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大正 3年 | 「合名会社太田商店」設立。 |
大正 8年 | 資本金100万円にて「株式会社太田商店」設立。 砂糖・小麦粉を主たる扱い品目とする。 |
昭和18年 | 戦中企業整備のため廃業する。 |
昭和27年 | 砂糖の統制廃止と共に「株式会社太田商店」を再度設立する。 その際、「大日本製糖株式会社」等、別記製糖会社及び、「日清製粉株式会社」の特約店となる。 |
昭和29年 | 事業の拡張に伴い資本金を450万円に増資する。 |
昭和32年 | 「寿がきや食品株式会社」と業務提携し、粉末スープの発売元となる。 |
昭和35年 | 事業の拡張に伴い資本金を950万円に増資する。 |
昭和39年 | 商号を変更し「太田商事株式会社」し、東京支店を開設する。 |
昭和46年 | 事業の拡張に伴い資本金を3,800万円に増資する。 |
昭和47年 | 事業の拡張に伴い資本金を9,800万円に増資する。 |
昭和49年 | 東京支店を廃止する。 |
昭和53年 | 砂糖類の加工のため傍系会社「中部精糖株式会社」を設立する。 |
昭和56年 | 住所表示の変更により、中村区名駅南2丁目2番3号と表示する。 |
平成 元年 | 本社および中部精糖を、現在の熱田区古新町町2丁目83番地の1に移す。 |
平成 8年 | 愛知県豊明市に賃貸マンションを竣工。 |
平成 9年 | 三重県桑名市に貸店舗二棟を建設。旧本社跡にホテルを竣工。 |
平成13年 | 創立50周年を迎える。 |
平成27年 | 自社倉庫を、「浅井興産株式会社」に委託。 |